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聖イシドロ農夫         St. Isidorus C.                   記念日 5月 11日



 天主は社会のあらゆる階級、あらゆる方面の人々に、それぞれ模範となり保護者となるようなさまざまの聖人を起こし給うが、本日祝う聖イシドロは生前農業を生業としていた所から全世界農民の保護者と仰がれている聖人であって、4月4日のくだりに述べたあのイシドロとはもとより別人である。即ちこの二人は奇しくも同国のスペイン人ではあるが、彼は司教であり教会博士であり、これよりおよそ600年も前に世に出た人なのである。

 農夫の聖イシドロは1070年スペインの首都マドリッドに生まれた。家は貧しく通学の余裕がなかった彼は、読み書きの術こそ知らなかったが、救霊に必要な真理に就いては、或いは祈りの中に直接天主より教わり、或いは説教を聴聞して会得する所があり、博士方にもおさおさ劣らぬほどの知識をそなえていた。

 彼は父母の負担を少しでも軽からしめる為に、少年の頃からマドリッド付近の、ヨハネ・ダ・ヴェルゴスという人の農場に雇われる身となったが「祈り、かつ働け!」というトラピストの標語の如く、労働時間には懸命に働いたけれど、また毎朝ミサ聖祭にあずかって祈りを献げる事も決して怠らなかった。それ位であるから日曜日はどんな事があっても、天主の為の聖日として労働を休んだ。所が仲間達は彼のあまりに真面目なのが気にくわぬのか、イシドロは信心に凝って、兎に角小作仕事をおろそかにしますと主人と告げたから、主人に告げたから、主人も彼に対して「お前のような怠け者はない!」とか「朝そう畑に出るのが遅くては、定めし仕事も渉がゆくだろう」などと、小言や皮肉を浴びせかけることが珍しくなかった。
 するとある時イシドロが「それでは私の耕した畑と、他の人の畑と、どちらが余計作物がとれますかお比べ下さいまし」と願うので、試しに調べてみると、驚いたことには、主日も休み、朝晩も長く祈祷するイシドロの耕地の方が、働きづめに働いている他の人たちのそれよりも、ずっと収穫の多いことが解った。これは天主の御祝福が敬虔なイシドロの上に豊かであった為であろうが、そうした事実から彼が働く時には天使が手伝いに来るとか、彼が祈っている間には天使が代わって仕事をしてくれるとかいう噂まで生まれるに至った。
 されば最初イシドロの信心深いことを好まなかった主人も、後にはかえって之を喜ぶようになり、同様篤信のマリア・デ・ラ・カベザという女を彼に娶せてやったが、二人は極めて仲睦まじく、やがて生まれた一子が早く死ぬと、それからは兄妹の如く清い愛の生活を送ったと伝えられている。

 彼は一生貧しく質素に世を過ごしたけれど、困っている人を助けたり、旅人を宿しいたわったりする慈善の業を何よりも好んでいた。そしてその慈しみは禽獣にまで及び、冬の最中に餌の乏しいのを憂えて、小鳥に麦粒を蒔いてやったなどの話もある。
 マドリッド市郊外にあった彼の畑は、山の斜面に位する痩せ地で、唯でさえ耕作に骨が折れるのに、夏の真昼の太陽がじりじり照りつける時などは、全く耐え難い苦しみであったが、彼はそれを罪の償いに献げ、克己忍耐の徳を積むよすがとした。そして人目に立たぬ農の業を天主に仕え奉る無上の務めと満足し、種まく時には主の種まきのたとえを、小鳥のさえずりを聞いては空の鳥のたとえを思い起こして、その中に含まれる真理を黙想し、大空を仰いでは天国の光栄を思うという風に、平和な日々を送り迎えて60歳に至り、遂に主の思し召しにより1130年の5月15日にこの世を去ったが、その死に顔は得も言われぬ神々しい光に満ち見る人をして思わずも「ああこの人は聖人であった!」と叫ばしめたほどであったという。
 その後彼の取り次ぎによる奇跡が数多起こった中でも、スペイン国王フィリポ三世は彼の代願によって大病が快癒したのを徳として、彼をスペイン王室の保護者と尊び、その列聖を願っていたが、果たして1622年グレゴリオ15世教皇の御世に、イグナチオ、テレジア、フランシスコ・ザベリオ及びフィリポ・ネリ達と共に聖位を送られる光栄をになうに至ったのである。



教訓

 聖イシドロは別に驚天動地の偉大な事跡を残した訳ではない。ただ「祈り、かつ働け」という言葉の権化のきょうに天上の事を忘れずに祈り、地上における務めとして働き、一見平凡とも思われる生涯を送ったばかりであった。しかしそれでもその終始変わらぬ真心は天主のよみし給う所となってよく聖人の位をかちえた。されば我等も彼に倣い、祈りつつ忠実に我が務めを果たそう。そうすればそれが精神的、或いは肉体的、いずれの仕事であろうとも、均しく天国の永福を受け得ることは更に疑いないのである。